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メッセージ from ひとみみのる


「ツアー・ファイナルステージを終えて」

2014年10月31日(Halloweenの日)、東京蒲田アプリコホールで「瞳みのると二十二世紀バンド」のツアー・ファイナルステージが終りました。その打ち上げのあと、自宅に帰ったら午前2時、暦の日付は11月1日に変っていました。その後まもなくベットに入りましたが、特にこの日のステージでのいくつかのミスや、これまでの様々な思いが脳裏に焼き付いたり、去来したり、ベッドに横になったもののなかなか寝付けず輾転反側しては夜が微かに白み染める頃にようやく夢の世界へと誘われて行ったようでした。

思えば、昨年の12月27日、東京ドームで行われた復活「ザ・タイガース」のファイナルステージの後もそうでしたが、帰宅は午前様。昨夜というか深夜の酒で頭がボヤッとして、翌日は完全休養日としました。
その翌日の12月29日、新たな出発に向けて、しっかりと次のように決心しました。
これまではザ・タイガースに「おんぶにだっこ」してもらっていれば5 + 1人ということで気楽であったが、これからはそのガードが外れる。本当にその力量が問われる正念場だと。実は、ザ・タイガースの盟友
森本太郎もそのように助言してくれました。

2014年6月13日、東京渋谷の大和田さくらホールで、初めて、ザ・タイガースを離れた個人ライブを開催しました。このライブは何としても成功しなければならない。このツアーの成否はこれまでのザ・ファニーズ時代からザ・タイガース、そして、教員時代の総決算なのだから。よく有終の美といわれますが、この人生でも今や僕も総決算の時期、集大成の時期にかかっているのでしょうか。ともかくも失敗すればこれまでのものまで「そんなものだったのか」と思われるでしょう。
それは、ザ・タイガースのこれまでの看板に泥を塗るに等しく、支持していただいたファンの方や周囲の方々を失望させることになるでしょうし、何と言っても自分自身が許せなくなります。
今回のツアーにはそういう思いで臨みました。そして、そのツアーが終了いたしました。

まずは、今回のツアーにその地その地でお越しいただいたザ・タイガース時代も今も変わらず僕を応援してくださるフアンの方々に、また新しいファンの方々に深く感謝のお礼を改めて申し上げるとともに、無事にツアーが終わったことをご報告いたします。
ついで、今回20回のコンサートに毎回素晴らしい花を送り続けて下さった僕のファンサイトの皆さまに厚く感謝いたします。また、毎回2部のステージ衣装の胸に挿していた素敵な薔薇を送り続けていただいた匿名のファンの方、さらには、その時々素敵なお花や贈り物などをお送り頂いた個人・有志の方々、音響・照明のスタッフの皆さん、楽器の搬送をしていただいた方、各会場のインベンターの方々、殆どボランティアでお手伝いくださった古くからの友人知人も、陰に日向に力を添えてくださいました。また、さくら株式会社・オフイス二十二世紀のスタッフの面々、たくさんの皆さんの素晴らしいご協力の下に何とか成功裏に終了いたしました、ありがとうございます。

最後に、瞳みのると二十二世紀バンドのメンバー、“アリス・ネロ・イチロー・ジェフ・ナオコ”の諸君ありがとう。彼らの絶大なるチームワークで、2014年10月31日、何とかツアーが終了したことをここに感謝します。


ひとみみのる
2014年11月3日(文化の日)


9月の終わりに当たって
9月も明日で終わり、散歩をしていたら金木犀の香りが、朝のひんやりした空気の中に流れてき、例年より少し早い感じがしましたが、間違いなく季節の移り変わりを感じました。
皆さまお元気でお過ごしでしょうか。
9月は僕の誕生月ということもあり好きな月でもありますが、今年は個人的には特に慌ただしく過ぎて行きました。
皆様方からの心強いご声援を得て、9月23日東京新橋ヤクルトホールでの誕生記念会、
9月27日北海道八雲町公民館での「花の首飾り町づくりコンサート」を成功裏に終えることができました。
「コンサート」は、すぎやまこういち氏、東京メトロポリタン・ブラス・クインテットのメンバー、町長を始め町民の方などの多くのご協力の下無事終えることができました。当日会場に来られなかった方々も含め、心からのご声援のおかげだと本当に感謝しております。今後ともこのような活動が末永く続いて行くことを切に願っております。改めてここにお礼申し上げます。
「花の首飾り」が文字通り故郷に錦を飾って帰ってきました。こんなにたくさんの方が祝ってくださるのを嬉しく思いましたが、肝心の原詩の作詞者菅原房子さんがお越しになれなかったのが心残りでした。今回僕はすぎやま先生の「花の首飾り」の楽曲によって、八雲町の「観光大使」に任命されたのですから。
その大使委嘱セレモニーが当日会場で行われました。また、翌日、北海道新聞朝刊、NHKテレビ朝のニュースでもその模様は報道されました。
「花の首飾り」は実にこの北海道の頸に当たる八雲町に今かけられました。きっと間もなく近くの大沼辺りに飛来する白鳥たちが祝福してくれることでしょう。

[photo]  八雲町  >>

  八雲町 「花の首飾り」まちづくりコンサートチラシ、 パンフレット >>

  広報 やくも 2014年11月号 >>


2014年9月29日 ひとみみのる 記


「残暑お見舞い申し上げます」

「山椒は小粒でピリリト辛い」というのは僕のこと、これ自慢?そうざんしょ
残暑暫且(ざんしょ)であればいいのですが、これが至って長く、居なくたって長い、そうざんしょ?西日の残照にも困ったものだから、それを避けて談笑しながら相談しょ
立秋とは名ばかり。
そう残暑、残暑、残暑そう残暑

2014年8月7日(木)~9日(土)まで、2泊3日で中国の東北地方遼寧省の大連市へ行ってきました。大連はこれで3度目になります。東北三省(南から遼寧・吉林・黒龍江)の一つで北朝鮮と国境を接しています。
一度目は1982年夏、北京大学留学時代、そのときは大連から更に船で渤海を渡り山東省の青島へ行き、曲阜の孔子生誕地へ行って参りました。
2度目は2008年同夏、慶應高校教員時代、大連市内から車で2~30分程の距離にある星海広場へ海水浴に行き、今回はその隣にある星海公園へまた、海水浴に行きました。
今回泊まったホテルは、大連市にあり、前回泊まりたいと思ったのですが泊まれなかった1909年に日本人によって設計・施工された「大連賓館」(旧ヤマトホテル《大和旅館》、かつて南満州鉄道が経営)でした。欧風建築で現在中国の全国重点文物、保護建築に指定されています。
古色蒼然とした中に堂々たる風姿を市の中心である中山広場の真前に見せています。設備としては周辺の近代的なホテルにすでに叶いませんが、100年以上の風雪を経て今もなお宿泊できるという点で立派なものだと実感されます。
空港への帰りの道路標識には左「旅順」とありました。その地はここからそんなに遠くないことが分かります。日露戦争のとき祖父が工兵隊員の(主要任務はスコップで地雷の除去)として京都から出征し、乃木将軍のもと203高地のロシア軍を攻めたところです。つくづく僕は戦争のない平和な現在に生れてよかったと実感されました。
現在、大連のpm2.5は北京と同様に酷く、前回来たときは連日空が冴え渡るほどの澄み切った青空で、バックの中のボールペンの芯までが溶けましたが、今回は北京同様どんより晴れた空模様でした。この中国沿海部の空気汚染も深刻になってきていると危惧されます。
ここ大連は、最も日本語学習熱が高いところで、街を流すタクシー運転手も片言ではありますが、結構日本語を話したりします。当地の一般の中国人は日本人に対して親和性を感じてくれているようです。そういう点では日本人にとって多少居心地の良さを、北京よりも遥かに感じます。
食べ物は、何たって海鮮でしょう。かつて日本からの玄関口であった大連湾に面しているだけあって、新鮮な魚介類が多く、これも周囲を海に囲まれた日本人にとって嬉しいことです。
来た日はいきなり、車えびの踊り食いを十数匹食べました。日本でもそんなに多くは食べたことがありません。前回は見なかったのですが、何と結構大きなトラフグが金魚の水槽と並んで海鮮料理店の水槽にたくさん泳いでいました。またメニューにも載っていましたが、さすがに恐くてそこまで食指が動きませんでした。


[photo]  大連  >>


2014年8月10日 ひとみみのる 記


しょっちゅう、書中、暑中見舞い

しょっちゅう、書中、暑中見舞い申し上げます。
先ほど北京へ着きました。現地時間PM2:25、空はどんより晴れています。 気温は30度とのこと、東京ほど暑くは有りませんが、やはり暑いことに変わりはありません。 出かけのるときの東京は猛烈に暑さを朝から感じました。
北京の自宅でも蝉の声が聞こえます。
猛暑のみぎり皆様方、お身体ご自愛ください。

2014年7月27日 ひとみみのる  於北京


七夕 棚ぼた

書中、お見舞い申し上げます。
何時ものことですが、本当に時間の経つのは早いものです。
その時間の中で一体何ができるかと言うとほとんど何も出来ないような無力感を感じます。

今、北京にいます。
北京はpm2.5が連日のように天を覆い、快晴の天をほとんど見ていません。
昨日は河北省の省都石家荘の知り合いの家に呼ばれ北京の友人などと行って来ました。この地は北京の西南約300㌔ほど離れたところで、春秋戦国時代は趙の国、1902年「京広線」(北京―広州)が敷設されてから交通の要衝となり、現在は工業都市として発展しています。
工業都市の例に漏れず大気汚染は中国中最も深刻だと言われています。
また、余りよい話ではありませんが、2008年に発覚した中国製ギョーザ中毒事件でも問題になった地でもあります。
確かに、昨日もpm2.5の影響で、晴れてはいるもののぼうっと霧がかかったような天気で北京よりも暑く感じました。
今回は、更にこの石家荘の南200㌔足らずの邯鄲市(かんたんし)へ行ってみたかったのですが、というのも「邯鄲の夢枕」とか「黃梁一炊の夢」ともいわれ、有名な故事となっている唐代小説の舞台になった地で、わが国の芥川龍之介も短編を書いていて有名です。
生憎時間が無かったので、そこまで足を伸ばすことが出来ませんでした。来年一月公演予定の僕の書き下ろしの戯曲「仲麻呂と楊貴妃」に関連して扱いますので是非ともと思ったのですが。
今回は、この石家荘とその近郊の古い町正定県を巡りました。
この地で有名な食べ物は「ロバ肉」で、そのロバ肉、そのハンバーガーやソーセージを生れて初めて食しました。ロバは養殖で、味は淡白でやや固め、能書きにはその栄養価に対する効用が、それを供するおよそどの店にでも書かれています。

[photo]  河北省の省都石家荘(せっかそうし)~正定県(せいてい-けん)  >>

2014年7月7日七夕(今晩、棚ぼたはあるかな) ひとみみのる  於北京
1937年7月7日、日中戦争の発端となった・・・    


バンド名決定!

皆さまへお知らせ致します。
様々にこれまで長く思案してまいりましたが、やっと全員の同意の下、 今回6月からツアーの我々のバンド名が決まりましたのでお知らせします。

『瞳みのる&二十二世紀バンド』

英文:HITOMI Minoru & The 22nd Century Band

中文繁体字:
瞳豐 & 二十二世紀樂隊

簡体字:
瞳丰 & 二十二世纪乐队


どうぞ以後末永くご贔屓くださいませ。


二十二世紀バンド(The 22nd Century Band)メンバー紹介  >>

「瞳みのるエンタテインメント2014~歌うぞ!叩くぞ!奏でるぞ!~」 公演日程  >>

ひとみみのる
2014年5月28日


2014年5月11日《日》

6月から始まる僕の単独ツアーのパンフレット作成のため、昨日神奈川県は横須賀へ写真撮りに行ってまいりました。東京もそうでしたが天気は快晴、初夏の微風の吹く黒船来航の地は、紺碧の海を洋々と前面に湛え、対岸は房総半島という素晴らしい眺めでした。
この地、三浦半島突端の観音崎にある横須賀美術館付設のイタリアレストランでオリジナルメンバーとザ・タイガースとその元中井國二マネージャーが、加橋かつみ脱退後、殆ど40数年近くになりますが、初めて全員が集まったところでした。この場を選定した中井さんの奥様、中井真理さんのアレンジで素晴らしい再会を果たしたのでした。
先ず、我々一同は赤ワインで乾杯し(2013年ザ・タイガースのパンフレットの最後の方にある写真)若干遅めの昼食を摂りました。館の外は今日と同じように天空は抜けるほど明るい陽光が輝いていました。それは2010年の秋、今は2014年の初夏ですから早いものですでに4年近くの時が流れたのです。今日はそのことを思い、中井さんを偲び、やはり赤ワインで一人献杯しました。注文したパスタもその際食べた、シラス・小松菜のペペロンチーノ風味を食べてみました。
館の裏山から鶯の声が聞こえ、日曜日の午後のゆったりとした時が流れていました。

2014年5月13日 ひとみみのる 記

[photo]  横須賀へ  >>


「泰平の 眠りを覚ます 上喜撰 たった四杯で 夜も眠れず」

皆様、唐突ですが学生時代の夢は見ますか。僕はたまに見ます。勿論、ザ・タイガース時代や教員時代の夢も見るのですが、いつも「間もなく~が始まる」というのが常で、心中大変焦っていて、駄目だと思ったときに目が覚め、救われるのです。
昨夜は大学時代のものでした。一年生の一般教養の課程で、僕の苦手な数学の試験の当日、どういうわけか家電製品を売っている電気屋で商品を物色していているのです。ふと、気が付けば試験は午前9:10から始まることに思い至り、全く予習をしていないので、試験を受けてもきっと0点に違いないと大変焦りました。気が付けばもうすでに9:02、どうすればよいか途方に暮れました。単位を落としたら、留年です。僕の在籍していた大学は4年間、個々の学年では11.22.33.44と計8年間いられますが(確か今でも)、全体で8年間ではないのです。つまり、一年を二度づつできますが、三度はできない決まりなのです。今年単位が取れなくて留年すれば後1年ありますが、所詮できない苦手の科目、きっと来年もこの科目を落として大学は中退ということになるのは必定。暗澹たる思いになりました。
何時もそうなのですが、僕は昔から特に夜間トイレの間隔が短く、尿意を催して起きることが多く、中学校まで位はトイレに行くのが面倒臭く(漆黒の中しっこくさい)そのまま寝床でしてしまうのでしたが、さすがにそのようなことは今では極々たまで、全くないわけではないのですが、昨夜はそれで仕方なくトイレに行きたいと思ったときに目が覚めたのでした。いや、助かりました。試験は忽ちなくなり、落第しなくてすみました。
昨夜の眠りは一昨日に関係しています。一昨日家の近くの寿司屋で食事をしたのですが、入ったときは15人程度坐れるカウンターは満席でしたが、2時間ぐらいしてくると客はカウンターの端の二人組しかいなくなり、この寿司屋を任せられている職人さんと親しく寿司談義を楽しむことができました。ところが、僕はビール、日本酒熱燗、ハイボールといつもより多く飲み、且つ食べたのでした。
いささか飲み過ぎたので、最後はお茶にして彼と話していたのですが、夜もすでに9時を回っていたため、いつもこんな時間は1杯しか飲まなかったお茶を彼が女店員に僕の湯呑のお茶がなくなっていることから、お茶の差し替えをしてくれて結局3~4杯も飲むことになったのでした。
コーヒーを寝る前に飲んでも大丈夫なのですが、緑茶は一杯以上はその後の睡眠に大きく響くので飲まないようにしていたのですが、ついつい注がれるままに4杯近くも飲んで、帰宅してそれでもそれから半年ぶりにレンタルビデオを一本見て、就寝したのでしたが、結局翌朝午前6時まで眠ることができませんでした。
一昨夜は6月からのライブツアーのため昼から夜までリハーサルをして身体的には疲れていたのですが、どうしても気が立って寝付かれませんでした。
そのようなわけで昨夜はきっとよく眠れるに違いないと思ったのですが、結局大学の試験があって起きないわけにはいかなかったのです。
幕末、黒船の来航で吉田松陰や佐久間象山も眠れなかつたのでしょうね。

2014年4月28日 ひとみみのる 記

「百鳥の湖」

2014年4月13日(日)~15日(火)

P氏曰く:
皆様、当方はのんびり旅行に出ていて申し訳ありません。東京より友人が会員となっている山の中のリゾートマンションへ。帰宅は、その山中の湖から、函谷関?経由で。
着いてすぐ、山中の湖は白鳥が飛来しているので、その写真をこれから鳥に出かけます。

或る人メールで尋ねて曰く:
白鳥の飛来、写真に鳥ましたか。
よりどりみどりの鳥たちに会えましたか。
お~愛のしるし~
そのなかに、
首飾りをしたしらとりはいませんでしたか。

P氏曰く:
白鳥、鴨、カラス、スズメ、セキレイ、オオバン、ウグイスなど「白鳥の湖」は「百鳥の湖」。

或る人、また尋ねて曰く:
日本一の富士の山をいただいて、
白鳥と湖で踊りましたか。
百鳥とたわむれましたか。
羽をつけて気をつけて帰って来て下さい。

第一日目
夕食:計三人(中老年男子)
「蕪と胡瓜の浅漬け」(市販パック。近所のスーパーマーケットへ買出し)
「蚕豆」、「麻婆豆腐」(瞳作、材料は調味用も含め現地スーパーで調達)
ケータリング:「牛肉のしゃぶしゃぶ」3人前(なんとゴマダレはなく、ニラあり)

第二日目
  朝食兼昼食:
「イタリアンサラダ」、「ピザートースト」、牛乳(瞳作)。但し、オーブントースターがなくトーストに焦げ目は付かず、更に一枚の片側しか焼けず、時間が限りなくかかった割には殆ど失敗
富士の朝焼け(写真>>)、昨夜の胸焼け、顔は酒焼け、自分に嫌気、朝食パンは生焼け。曇転、夕焼け、小焼けは見えず。
午後、湖畔の「紅富士の湯」へ。近くのスーパーへ夕食の買出し。上海より遠来の友人到着。
夕食:計四人(メンバーはすべて中老人男性、皆×1)
   ボイルした「ホタルイカ」、「皮蛋豆腐」、「麻婆茄子」(参加者の一人の強い要望により)、
   「青椒肉絲」(本来は「搾菜肉絲」を、搾菜は桃屋の瓶詰め以外はないので変更)
献立メニュー・料理は瞳作、下準備・配膳はその他一同
   (「生ハムサラダ」予定していたが瞳作り忘れる)

第三日目午前3時
同室者のいびき録音(音声>>)                                 
本日は快晴、富士の山はくっきり、山の中の湖
朝食抜き、山中のサーキット近く、場は山奥の御殿か?昼食兼で蕎麦屋「蕎林」へ
函谷関?の温泉、湯の元「天山」(入浴のみ)


[photo]  「百鳥の湖」 2014年4月13日(日)~15日(火)  >>

2014年4月20日 ひとみみのる 記

2014年4月1日(火)「万愚節」

皆さまお変わりございませんか。
3月27日帰国しました。
早いもので、日本を離れてから一月が過ぎ、北京ではまだ真冬であったのが、陽春のころ、彼の地では辛夷・桃花の頃、此の地日本では桜花の頃になりました。
この間、休みらしい休みは一日も結果的には取りませんでした。強いて言えば先日、3月26日午後北京西郊外へイチゴ狩りに出かけるだけが休日らしい過ごし方でした。
お陰さまで、滞在中は毎日歌とドラムそれなりにしっかり練習できました。勿論、近隣から僕がたてる騒音への苦情が度々まいり、まいりましたが。
後2ヵ月半ありますから歌の巧拙は、南こうせつに任せて(笑)、何とか恥ずかしくないライブをと思っております。
さて今日はここで、新編成のメンバーを正式に紹介したいと思います。

これは、「エープリル・フール(四月馬鹿)」ではありません。
これは、6月13日(金)の東京渋谷を振り出しに、東京蒲田10月20日(金)まで、全国縦断20か所で行われる瞳みのるツアーのメンバーの正式発表ということになります。
皆さま、新メンバー共々どうぞよろしくお願い申し上げます。


[photo]  辛夷・桃花の頃、北京西郊外へイチゴ狩り >>


「瞳みのるエンタテインメント2014~歌うぞ!叩くぞ!奏でるぞ!~」 日程 >>


ひとみみのる
2014年4月1日

以降のMessage







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