日本の温泉の湧出量として北海道は登別と一二を争う別府温泉に先乗りして一泊しました。この地を初めて訪れたのは、高校3年生修学旅行のときでした。この地は町の山手のあちこちからインデアンパイプの煙のように、またアメリカはニューヨーク冬のマッハッタンの路面から上がるスチームの蒸気のように湯煙が立ち上っています。
修学旅行は高校3年生から4年生になる歳の二月ごろで、とても京都は寒く、厚着して夜行列車に乗ったのですが、最初に確か宮崎に着いたときは、まさしく南国の地に来たのだと実感しました。その時それまでの生涯食べたことがないほど、パイナップルを沢山食べたのが忘れられません。またそのときの定時制の仲間の嬉しそうな顔が忘れられません。
大分の「関あじ」「関さば」と並んで「城下カレイ」は有名ですが、春が美味とされていて今回は食べずに、ふぐを頂きました。ふぐはまず「てっさ」(河豚刺身のこと)を少し湯引きした肝をたまり醤油に溶いて食べたのですが、しびれるほど美味いものでした。本当にしびれたら、おなかがおおいたではすまなく、次の日、いや永久に今後の公演が成立しなかったでしょう。
でも、こんな美味い河豚が食べられたのは同行した岸部の友人TN氏が当地の出身だったからです。感謝感謝!
朝、ホテルを出て運動をかねて散歩に出かけました。行く当てもなく街に飛び出しました。多分大分湾の海岸はこちらの方だろうと見当を付けてどんどん行ったわけです。歩くこと20分ほどして、ある建物の先に大きな船が見えて来ました。僕は思わず快哉を叫びました。
だけど、見えていても距離は遠く更に10分程度歩いて船が停泊している港に着きました。ポケットにはお金2000円(道に迷ったときの帰りのタクシー代)、携帯、カメラしか持っていません。
朝飯前の散歩さすがにお腹が減って、丁度折りよく船の近くにコンビニがあったので、パン、ミルク、サラダを買って船尾を借景にしてパクつき、好天の空の下海に思いを馳せていたら、その時、空から時ならぬ雨、頭の毛が濡れたのでしまったと思ったら、地面が数箇所白い液体に濡れていたのです。見上げる真上の非常に高い水銀灯に一羽のカモメが止まっていたのです。それでようやく事の次第が判明。以前カラスにもやられましたが、今回はカモメにやられたわけです。僕もよくよく運が付いているのですね。
12時前にホテルに戻り、熊本へのバスに乗り込み、このことを皆に話したら、いやピーは絶対運が付いていると異口同音、その後久留米のドライブインでトイレ休憩になった際、なんとそのサービスエリアに宝くじ売り場があり、僕が見つけ彼らにそのことを教えると、太郎、岸部、TN氏は僕にくじを買ってくれと思わぬ頼みごとをされました。年末ジャンボ宝くじ本当に当たるのか。僕はウンが付きましたが自分では買いませんでした。
3億円が当たったら港のことだけに航海するかも知れません。
大学時代、僕の友人の話、彼は怪しげな雑誌の物品通信販売欄に、「シロクロからみオールカラー無修正写真」、「シロシロからみオールカラー無修正写真」廉価販売という広告記事が出ているのを見かけ、好きものの彼は大変興味を惹かれ、その広告を出している店に送金して購入したのでした。
というのも彼はストリップを見に行くのが大好きで、特に「シロクロからみ生板本番ショー」が好きでした。ここで多少解説しますが、ストリップ業界用語(?)で「シロクロからみ」と言えば、つまりシロは女性、クロは男性を指し、それが絡むということになれば、劇場の舞台上で踊り子の女性が、パートナーの男性と行為に及ぶと言うことになるのです。
彼はそのことを思い描いて、男女実演のからみの本物のオールカラー無修正の写真が買えるものと期待をして品物の到着を楽しみに待ったのでした。
だけど、送られてきたのは「熊本城の写真」で、もう一方は「姫路城」の写真でした。
勿論、共に「オールカラー無修正版」でした。「からみ」と言う言葉には若干問題がありますが、
「黒い城」と言われる「熊本城」、「白い城」と言われる「白鷺城」にはなんら偽りはありません。今回のツアーでは加藤清正が築城した、その男性的で堂々とした立派な「黒い城」に堪能しました。
白鷺城のある姫路はザ・タイガース結成間もなくに、ザ・サベージの前座の巡業ツアーで行ったことがありますが、世界文化遺産の一つでもあるこの優美な「白い城」もまた訪れてみたいものです。
昨夜は公演の後、沢田、岸部と共通の友人JK氏夫妻及びTN氏と熊本の街で、夕食後遅くまで飲んでいました。勿論当地の名物、新鮮で美味い「馬刺し」や揚げたての「からし蓮根」を頂いたことは言うまでもありません。
朝食は抜いて、昼近く新宿にも支店がありよく行く、桂花の熊本駅の支店へ行ってラーメンをすすり、その足で散歩に出かけました。駅のすぐ側を白川という大きな川が流れています。熊本は京都と同様の盆地で気候が似ているようです。今日は天候がよく、空気は限りなく澄み、すがすがしい初冬の一日です。
橋の袂の橋名の表示には「白川」、「しらかわ」、「Shirakawa River」の三種がありました。しかし、「「Shirakawa River」は少し変ですね。日本語訳すれば、「白川川」になりますから。
ちなみに、森本太郎の歌っている歌の曲名は「Yellow River」で中国の「黄河」のこと、アメリカのテキサスに流れる「Red River」もあります。
以前東名高速道路を通ったとき、「多摩川River」とありました。これも変ですね、ただ「多摩River」とすると、暴走族の溜り場になるから避けたのでしょうか。首都高速道路では「荒River」とありました。これは「荒川River」になっていません。余り統一基準はないようです。
その後、熊本RKKラジオ(12月17日午後1時~1時30分放送)の録音、熊本日日新聞の取材、地元のタウン誌の取材を受け、夜空路帰宅しました。
一昨昨日(2011年11月18日)岡山市、一昨日(11月19日)京都市へ行ってまいりました。
岡山へはこれまでザ・タイガースの頃何度か来ましたが、地理的には兵庫県と広島県に挟まれた所という程度で、正直余りこれといった強い印象は残っていませんでした。強いて言えば、当地の興行主の関係か、来るたびに焼肉を食べた記憶があります。だから、どういうわけか岡山と聞くとすぐに焼く肉を連想してしまうのです。
今回は森本太郎の誕生日に当たり彼も交えて食事をと思っていましたが、彼は公演後すぐに新幹線に乗って京都へ向かい、彼の仲間たちと祝杯を挙げるとのことでした。
勿論そのことは織り込み済みであったわけで、すでに今回のコンサートの音合わせの前の時間を利用して沢田が散歩がてらリサーチをしていた料理屋にコンサート後繰り出しました。
その料理屋では、つきだしに針イカ(甲イカ系)とわけぎの酢みそ和え、酢みそが程よい甘さ、これからの出される料理のレベルの高さをいやがうえにも予感させました。続いて蒸し鮑の肝和え、肝を溶いたソースが実に美味く、まるでフランス料理のそれかと思うほどのものなので、僕はバターでも隠し味に使っているのではないかと思い、店主の板前さんに聞くと、白味噌をベースにして煮切った酒で溶いたものに調理を加えたのだという。皆もしきりに美味い!美味い!を連発、皿に残ったソースも箸につけては食べてました。僕は行儀が悪いのですが、余り美味いので、店員さんがいない隙を狙って犬か猫のように皿をきれいに舐めつくしました。
次に、地元で獲れる大振りな蒸したワタリガニ(瀬戸内下津井産)、一行4人(沢田・岸部、両人共通の友人TN氏と僕)は店でむいて貰ったカニを朱色の子の部分を中心に食べました。身はしっとりとしていて旨く何杯も食べたかったのですが、ここは4人で一杯、腹一杯!にはなりませんでした。
刺身はその次に出ました。この順番だと、刺身はさほどのことはないのだろうと期待しなかったのですが、さすがに瀬戸内恐るべし。石蝋のような乳白色、厚切りに切ったやや歯ごたえあり脂ののった鰆、甘み溢れるさっと湯通しした鳥貝、極め付きは半透明で箸でつまむとその弾力が伝わってくる瀬戸内海の鯛で地味たっぷり、その旨さに皆は異口同音に絶賛のスマップ、いや嵐!!!
焼き物として、シャコうなぎ(餌としてシャコしか食べない海うなぎ)の一杯(醤油を沢山かけるわけでない)醤油焼き、ウナギよりも淡白な味で、アナゴに近い味。
煮魚として、身離れも鮮やかな肝付マルハギ(かわはぎの仲間)の煮付け、しめは、黄にらと牡蠣の五島うどん。デザートは何語?当然食後、洋ナシ赤ワイン煮とユズシャーベット。
料理5000円コース。大満足でした。今日は沢田に「ごち」になりました。
付記:
岡山の白桃は極めて美味の評判の高い一品ですね。吉備団子もいいですね。サルやキジの付き添いはお断り。
今は亡き敬愛するわが師柴田錬三郎先生はこの地の出身です。
岡山城(別名烏城)姿がとても美しく、可愛い素敵なお城です。今回は時間がなかったのですが、次回は天守閣に登ってみたいですね。また、城の周りはのんびり散歩するのにとてもいい雰囲気です。
岡山から京都までバス移動、乗車時間は3時間余り、天候は雨、車窓は雨にぬれ、道中の山河は霧がかかり車外の景色は殆ど見られませんでした。初め少し「花の首飾り」(仮題)の原稿を読み直していましたが、頭が回らないので、車中でおしゃべりに明け暮れました。周りの皆さんは迷惑したでしょうね。僕の座席の前は沢田、後ろは岸部、その隣は彼ら共通の友人TN氏、彼は話好き、僕も話好きとなれば、道中話に花が咲きます。広島、北海道、仙台も彼は同行して、お互い気心が知れています。冗談の応酬が際限なく続きました。
これから向かう地は、我らが故郷京都ともなれば自然に気持ちも高ぶります。バスが京都南の名神高速道路を出ますと車は若干渋滞していましたが、間もなく九条通大宮あたりに差し掛かり、その九条通りを右折するとすぐに五重の塔が見えてきます。京都駅からも見えます。
その塔は教王護国寺、羅城門の東に位置したので東寺と呼ばれ、平安京の当時からこの地にあります。仁和寺や清水のそれに比べて大きく男性的で雄雄しく感じます。
話は塔の上から地上に下がりますが、南の九条に、DX東寺劇場、北の一条通り、千本中立売に、千中ミュージック劇場があり、共に京都を代表するストリップ劇場です。千中は森本太郎の実家の近くで、その昔劇場にもお世話になったことがあります。
南の弘法大師空海(774~835、3月21日入滅、香川県は讃岐生まれ)、北の菅原道真(845~903、2月25日没、京都出身、讃岐守にもなった)は、共に京都を代表する世俗信仰のメッカ。
彼らの命日に因み、毎月21日は弘法さんの日で市が立ち、25日は天神さんの日で市が立ちます。
京都では古くから21日が晴れれば、25日は雨、21日が雨なら25日は晴れと言われて敵対?しています。市に当たるその日は早朝から人でにぎわいます。
北の人は天満宮をひいきにする天神派、南の人は東寺をひいきにする弘法派といったようなところがあり?僕は場所からすれば、当然天神派であります。しかし、中学校を出てすぐ就職したのは東寺の側、芥川龍之介の小説や黒澤明の映画で有名な羅生門(羅城門:正式名称)のすぐ南の日本コンデンサー工場でありました(現マンション)。
二月からの講演会の会場はこの弘法派の近くです。天神派を自認する瞳が弘法派の陣地近くに攻防をかけます。
話は飛んでイスタンブール、今宵の会場となる京都会館に入って、森本、岸部、瞳がすぐに出前を取った食べ物は、みな共通して稲荷づくしであり、森本・瞳はきつねうどん、岸部はきつね丼でありました。店屋物ではあるのですが、久々に食べる京都のきつねには皆思い切り郷愁があるようで、その味を噛みしめていました。
今回はバスでの移動(森本太郎を除く)後すぐの演奏で、大変疲れだろうと思いましたが、それでもコンサートは不思議と力が出ました。さすがは故里ですね。稲荷大明神。感謝感謝!
皆様にお知らせいたします。
「老虎再来 瞳みのるエンタテインメント2012
“PEEのトークライブ ザ・タイガースから中国文化へ”」
大変長らくお待たせいたしました。2012年1月24日沢田研二ツアー終了後、2月からの私の「トークライブ」は下記のような日程で行なわさせて頂くことになりました。
どうぞこぞってご来場くださること心よりお願い申し上げます。
一昨日(2011年11月12日)栃木県は宇都宮市、昨日(11月13日)千葉県は松戸市に行ってまいりました。
宇都宮での公演は僕の記憶では初めてのように思います。勘違いしていたらごめんなさい。東北新幹線に乗って荒川を渡ると間もなく大宮に着きます。先月10月30日に公演したばかりの「大宮ソニックシティ」のことが思い出されました。あの時は森本太郎の車で行ったのですが、今日は新幹線。荒川を渡り大宮駅を出るとすぐ進行左手にロケットのような建物が見えます。大宮公演で会場ホールから見えた印象的な建物でした。
ついこの間と思っていたら、早いものであの公演から2週間ほどすでに経っています。また今日の宇都宮公演は今回合計38回の19回目にあたり、丁度半分になるわけです。興行で言えば中日(なかび)に当たり、たまたま今日からプロ野球日本シリーズが始まり、初戦の今日中日が勝ち、僕が沢田に今日は中日(なかび)で中日(ちゅうにち)だねと舞台袖で言うと、「ちゅうにちドラゴンズ」で「中日(なかびの)劇場」になると彼は切り返して来ました。そうだね、我々は中日の劇場で激情溢れるコンサートを開いていることになるんだねと〆ました。
ちなみに僕はこれと言ったひいきチームはありませんが、さすが沢田はタイガースのファンです。
話は戻りますが、列車は戻りません。列車はここまで関東平野をひたすら走って来ています。あの甲府のようにおびただしい数のトンネルの出番はありません。つまり今日は目的地の宇都宮まで「トンネルズ」は休演です。利根川を渡り小山を通過して東京から一時間足らずで宇都宮に着きました。
さすがに、名にし負う「餃子の街」、新幹線のホームにも、駅を出たすぐ側にも餃子を食べさせる店がありました。列車は午後1時30分着でしたが、勿論、僕らは昼食を控えてすでに楽屋に用意して頂いた餃子にありつくことができました。すでに冷めていましたが、味はなかなかなもので美味しくいただきました。
終演後、また帰りの新幹線の中で最初のとは別の店の餃子を2人前食べ、すっかり餃子を満喫しました。この日は僕個人でも最初に1人前半、後で2人前食べたことになり、これまでの生涯、一日に昼夜の二度も主食として餃子を食べたのは初めての経験でした。
また、わざわざ買いに行ってくださった方には悪いのですが。共に口内がやけどをするくらいの出来立ての熱々を食べられなかったのが心残りです。
餃子は中国人は一般的に「shui jiao」(水餃:水餃子といい茹でたものを食べます)と言って特に北方の人が好きですが、僕も腹がふくれたら「shui jiao」(睡觉:眠る)が好きです(哈哈哈hahaha)。
確か松戸でのコンサートも初めてです(?)。今回のツアーでは千葉はここだけです。本当に松戸の皆様、大変おマツドうさまです。エッー来るまでずっとマツドですて(これは太郎の駄洒落です)!有難いことです。
僕は千葉には慶應高校勤務時代に長く住んでいました。場所は松戸の南に位置する市川で、万葉集は「ままのてこな」で有名で、ここにいたという伝説上の美少女が、多くの男子に言い寄られ、煩悶して入水自殺したそうです。そんな美人がいれば僕だってきっと言い寄っていたでしょね。ああ、美人薄命と言うことでしょうか。「真間の手児奈」を祭るお堂はあってもお墓はないのでしょう。本当にはかないものです。
以前の僕の自宅はその上(北)の台地に当たる、国府台と言うところで、江戸後期、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」とう長篇伝奇小説としても有名な里見城址の里見公園の近く、広い真間山弘法寺(ままさんぐほうじ)の山内、千葉商科大学キャンパスも近くにあります。また、国立国府台病院の北側にはじゅんさい池などがあり、子供たちを育てるにはとてもよい環境に恵まれています。
最寄り駅はJR市川駅で、遥か江戸川、新中川、荒川、隅田川、神田川、多摩川、矢上川を越えて東横線は日吉に通勤していました。この市川駅からだと国府台の我が家は徒歩で25分ぐらいでした。ただ市川駅から国府台までは急坂で自転車では乗ったまま上がるのは苦しくて、結局膝を痛めて徒歩にしました。その結果身体が以前に比べて大変丈夫になりました。やはり徒歩が一番です。ちなみに僕の一番好きな中国の詩人は昔から唐代の杜甫(とほ)ですが、今では最も好きな運動は散歩、つまり徒歩(とほ)です。
松戸の北に位置する、柏では、慶應高校で勤務する傍ら、駿台予備校で一週間に一度の平常の授業及び春期、夏期、冬期、(秋はあきくるのでナシ?)とかの講習で授業を長く受け持っていたのですが、平常は夜授業を終え駅前で一人一杯やってから帰宅するのが特に楽しみで、そのために授業をしていたようなものでした。
その柏の南に、麗澤大学があります。最初は漢文を教えていて国語の教員免許でよかったのですが、中国語教えるようになり中国語の免許が必要となって、わが慶応大学ではその当時取れなくて、あちこち問い合わせたところ麗澤大だけが外部の大学からでも受け入れると言うことで、結局毎週一回二年間通学することによって、課程を履修して免許を取得することができたのです。そのような意味でもこうして中国語の教師になれたのは、麗澤大の寛容さによるものだとしみじみ今でも有難く感謝しています。
千葉松戸、市川、柏万歳 万歳 万万歳(wansui wansui wanwanssui万岁 万岁 万万岁!)
昨日(11/9)、10月30日(大宮)と同様に森本太郎の車を、彼の仲間のジェフが運転をして、いつも通り僕と岸部は後部座席に乗って、東京都の町田市へ行ってきました。首都高速の池尻から東名高速に出て多摩川を渡り、途中、道に迷いましたがおよそ50分程の道のりで着きました。会場はJR横浜駅も近く、小田急小田原線では町田駅徒歩7分の距離にあります。僕たちは車で行ったので、ただ駅から近かったという印象しかありませんが。
市民ホールへの入り口にはすでに多くのファンの方が、楽屋への通路付近で待っていてくれました。会館に玄関に入ると、会館の大勢の市職員の方が出迎えてくれました。公的ホールで僕たちはコンサートを開くのだと言う意識がいやがうえにも感じられ、それがとても新鮮に感じられました。
今日は僕たちが、ザ・ファニーズからザ・タイガースとなって東京へ出てきた記念すべき日であると、講演を終え、帰宅して僕のファンサイトで知りました。メンバーの皆はそのことについて誰も触れないので、彼らがそれを知っていたかどうかはわかりません。
車で1時間足らず、それに都の近郊であることから演奏旅行という感覚がなく、太郎などは近くの町内で催しものがあるような気分だと言っていました。確かに僕にしても、慶應高校の教員、生徒たちもこの街に少なからず住んでいるようで、東京の通勤・通学距離圏、本当に身近に感じます。
会場は今回のツアーでは一番小さくて可愛く、僕は思い切り太鼓をたたくとお客さんがうるさくて迷惑されるのではと危惧しましたが、実際演奏が始まったらそんなことなど忘れて、いつも通り、いやそれ以上に結果的には叩き歌い、アットホームで熱気溢れる雰囲気の中コンサートを終えました。
今日の会場は、恐らくすでに暖房が入っているのでしょう。メンバーは沢田を始め口々に暑い暑いと言っていました。僕はもうすでに気温は初冬と思っている分だけ暑く感じ、演奏中サウナにいるように頭の中がボッーとしてしまい、若干ミスりました。見に来られた方で気付かれた方はおられましたか?
また、来たときよりも多くのファンの方に見送られて会場を出ました。コンサート後の帰路、早速車中で缶ビールを開け皆と乾杯して、今日無事に終わったことにホットしました。電車での帰路もそうですが、このひと時は本当に充足感に満ちた至福の喜びをいつも感じます。
車は30分後には渋谷あたりには着いていたのですが、その後僕らはまた中華の小皿と餃子を肴に焼酎を一杯やって、〆にラーメンを食べました。食事の時間が短かったせいか、それでもどうにかその日のうちに無事帰宅できました。有難うございました。会場に来られた皆様もお疲れ様でした。
皆様にお知らせいたします。
去る11月1日にNHKで録画しました「SONGS」は、来年2012年1月18日に放映されることが決まりました。よろしければご覧ください 。
録画当日は大変緊張しました。曲目は4~5曲ですが、リハーサルは音と映像で一度づつやり、本番に入りましたが、一回ではOKにならず再度やってどうにかそれなりの納得のいくものになりました。
これは、僕個人にとっては初めてのNHK出演となる予定です。皆さんの満足のゆくものであることを願ってやみません。
放送日時:<総合テレビ> 2012年1月18日(水) 22:55 ~ 23:25分
NHK「SONGS」 >>
北海道は札幌、宮城県は仙台へ行ってまいりました。
今回のツアーはまるで修学旅行のような気分が僕にはします。その訪れる地域としては、それが北海道や九州方面ではなおさらではないかと思われます。
その修学旅行のような雰囲気から、昨日(11月5日)は札幌から千歳空港へ向かうバスの中で僕がメンバーに出したクイズを紹介します。
「昨日、僕は札幌市を代表する中島公園へ散歩に出かけたが、そこで三種類の鳥が池の端に一緒にいるのを見かけた。それはすべてたまたま『か』から始まる鳥だった。そこで勿論、写真は撮った。君らには見せないが、色とりどり、それは何どり、何どり、何鳥だと思う?」
一同あれこれ言ったのですが、最終的にそのクイズに速く正解したのは沢田でした。彼は言葉に常に関心を持っていて、回転が速いからでしょうね。このツアーでは親父ギャグをよく耳にします。
(正解はUPした写真にあります。じっくり見てください)
北海道へは僕の勤務校の慶應高校(男子校)で修学旅行の付き添いで、十年程以前にはよく来ていました。付き添いといっても、今回のツアー同様に逆に付き添われて来ていたと言った方が正しいかと思います。と言うのも当時の我々学校の生徒諸君は、一年次茨城の高萩へ合宿旅行、二年次北陸へ、3年次北海道へと毎年のように行くことから、すでに修学旅行慣れしていて、彼らを束ねるため生徒の中から選ばれる旅行委員は旅行会社の添乗員と、事前に何度も会合を重ねていて、プロの添乗員と遜色はなく生徒や教師の面倒をよく見てくれたからです。
なかでも特に3年生担当の旅行委員は旅行会社のベテラン添乗員としてそのまま即戦力になるとさえ思われるような能力を持っています。このような学校であったからこそ僕も存分に修学旅行を楽しむことができたわけで、本当にこの旅行委員諸君に深く感謝しています。生徒が優秀だと教師は実に気楽なものです。
ただ、我々の学校は一貫教育校だけあって生徒は我々よりもクラブや学年の先輩から豊富な情報を得ているので、どのようにすれば教師に見つからないで面白いことができるかを知悉していて、夜な夜な大宴会を開いていたようです。このような北海道旅行が50年ほど続いていたのですが、学校当局としては札幌の街で泊まらせると危険なので(?)泊まらせないで、日中数時間の自由行動だけにしていたのですが、その短い時間に薄野(すすきの)辺りで男になって帰ってくる生徒もいました。
また、そんな昔こんな武勇伝がありました。
青函連絡船で北海道へ行っていた頃、ある生徒が船上である女性と親しくなり、我々が登別温泉に宿泊した夜、タクシーを飛ばして函館まで会いに行って、翌朝の点呼までに戻ってくるような猛者もいました。
今となってはすべて楽しい思い出です。今回のツアーの生徒さん(?)はおとなしくて、無茶をしないので、薄野に泊まってもツアー主催者の関係者の方は楽でしょうね。
仙台は先祖代代、つまり先代(父)、先々代(祖父)、先々々代(祖祖父)も行ったことのない地でしたが、僕はザ・タイガース時代、十代~二十代に幾度か訪れたことがあります。今後の速やかな復興を願って、できれば子々孫々代代・・・百代、千代、万代、永代と仙台へ訪れることを願ってやみません(千代に八千代に)。
本当に仙台は「杜の都」と言われるようにしっとりとしたいい街です。街を広瀬川が清らかに流れています。まだ少し時期として早いのでしょうか、間もなく全山紅葉に包まれた青葉城が見られるのでしょう。今回は広瀬川のほとりにある仙台市民会館でコンサートは行われました。会館と同じ敷地の隣のビルは足場が組んであり、補強工事が行われいています。2011年3月11日のその日の爪あとが街のあちこちに残っています。
会館は広瀬川西岸高台の絶壁にあり、沢田のマネージャーの小林さんが「鮭がいる」と叫ぶと、皆が楽屋から会館の裏側の通路へ出てきました。確かに遥か約100メートル下川面に目を凝らすと一群の産卵前の鮭が泳いでいました。開演リハーサル前に時間があったので、早速対岸へ行き川岸まで下りて行きました。一昨日(11月4日)札幌の豊平川で見られなかったので、感激しました。昨年、「花の首飾り物語」(仮題)を書くための取材に行った北海道の八雲町の遊楽部川で見て以来のことになりました。
鮭も古巣に帰って来ますが、人もそうなのでしょうか。
ファン登録の追加。
信玄親子、実は武田信玄の父もザ・タイガースのファンで、武田信虎といい、武田信玄も渾名(あだな)は甲斐の虎(甲斐の龍とも)といわれ、軍旗に『孫子』(「軍争篇」)のことばから抜き取った「風林火山」と記していたことで有名です。父も子もザ・タイガースのファンでした。いづれにしても戦国武将は虎のファンが多いようです。しかしながら、心底、虎を愛し生涯変わることのないのは上杉謙信です(先述:初名は「景虎」、後改名し「政虎」、更に剃髪して「輝虎」と号しましたから)。
甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信が信濃で戦ったわけですが、これは信濃にとっては迷惑な話といいましたが、その後、日露戦争(祖父も従軍)で日本とロシアが戦ったのですが、戦場は中国でした。これも中国にとっては迷惑な話ですね。
[photo] 追加 大宮の写真 >>
大宮会場での写真結局は写っておりました。原因はケーブル線の不具合によるものでした。
ツアー報告-甲府、大宮(10/29、30) >>
いよいよ今日で10月も終わり明日から11月です。皆様お変わりございませんか。
早いもので、我々沢田、岸部、森本、瞳、鉄人バンドの今回のツアーもすでに15回を過ぎました。後、23回、3ヶ月を切りました。楽しいことは過ぎるのが早いということを実感しています。
考えて見れば今回は、僕の9月の誕生日、その後に太郎の11月、岸部の1月の誕生日が、ツアーの期間中にあるわけですね。時を惜しみつつ、僕らはしっかり楽しみますから、皆さんもしっかり楽しんでください。
今回は、10月29日山梨は甲府、翌10月30日埼玉は大宮に行ってまいりました。いずれも会場一杯の観客の皆さんの熱気溢れる雰囲気の中、素晴らしいコンサートができたと思っています。ご声援有難うございました。
10月29日快晴、『8時ちょうどのあずさ2号で・・・』と「狩人」の歌(1977年)にありましたが、我々は「12時ちょうどのあずさ15号で」甲府へ向かいました。途中桂川を横目に見て大月を通過して、汽車はドンドン山奥へと入って行きます。トンネルの多さに驚きます。いやこんなに多く「隧道」(すいどう)が見られるのはまったく「トンネルズ」のおかげです!
甲府市は盆地そのものです。京都市は盆地といわれますが、南は山がないので、完全な盆地でないのです。タローのような「ぼんち」は多いのですが?市の南に荒川が流れていて笛吹川に合流し、富士川に注ぎます。
今の時期「もみじ」の季節にまだやや早いのですが、山梨でのコンサートを前にして気分はもうすっかり「紅葉」と車中で言葉遊びをしました。
ここはすでに「やまなし」というのですが「山ばかり」、この命名はきっと梨が多く採れることから、どこもかしこも梨ばかりということで、語順を逆にして「なしやま」から来たのではないかと独断したいのですが、果物はブドウ、モモ、スモモなどが有名で梨はほとんどナシのようです(笑)。
この地の有名な食べ物は何と言っても「ほうとう」(小麦粉で作った麺)です。「ぼんち」の「ぼんぼん」ではありませんが、「ホウトウ息子」が言っているのですからウソではありません(笑笑)。味噌仕立ての汁を煮込んだもので、具は油揚げ・ニンジン・カボチャ他にシメジ・エノキ・ジャガイモ・サトイモなどもお好みで入れるということです。
また、B級グルメ第5回ゴールドグランプリを取った「鳥もつ煮」も当地では大変有名です。
しかし、この地甲斐は戦国武将武田信玄と、越後の上杉謙信が1553年以来信濃の川中島で数回にわたって戦ったことは有名ですが、山梨と新潟の人が戦うのは勝手ですが、長野の人は迷惑ですよね。
ただ僕としてはどうしても、謙信を応援したくなりますね。彼は根っからのザ・タイガースファンですから。ちなみに、彼の初名は「景虎」、後改名し「政虎」、更に剃髪して「輝虎」と号しましたから。
今日はタローの車、彼の仲間のジェフが車の運転をして、僕と岸部は後部座席に乗って、埼玉は大宮市に出かけました。首都高速から荒川を渡り戸田公園を横に見て、道路はすいていましたのであっという間に着きました。会場は大宮駅の近く、雑居ビルの林立する谷間にありました。ホールは最近に建てられたもののようで、とても綺麗でした。
ここの小ホールで来年4月26日に、僕は自分の講演会を開くことが決まっています。北は北海道から南は九州までおよそ10~20箇所で開催する予定です。決定しましたらお知らせいたしますのでどうぞお出かけください。
閑話休題、この地大宮は、元GS人気バンド、ザ・テンプターズの本拠地であり、大変懐かしくもありました。その後、駿台予備校で漢文の講師をしていたときに夏期講習で来たことがあります。今日はそれ以来というわけです。
テンプターズの面々でも特に親しくしていたのはリーダーでリードギター・ボーカルの松崎由治で彼とはよく遊んでいました。グループを解散した後、大学時代に大宮に会いに行き旧交を温めたことがありますが、その後残念ながら、また会いたいのですが、彼は目下消息不明だそうです(森本太郎いわく)。
このグループのドラマー大口広司とも仲がよかったのですが、彼は2009年に亡くなりました。後、そんなには親しくなかったのですが、ギター・キーボードの田中俊夫も1997年に亡くなったそうです。
今では僕らの周りの親しい人も一人欠け二人欠けしています。ザ・タイガースの面々は岸部シローは身体こそ余りよくないのですが、それでもまだ彼なりに頑張っています。今回最後のツアーの日にでも来られたらいいのですが。その他のメンバーはまだ元気にしているのだから本当に有難いことだとつくづく思っています。
何だかしんみりしてきましたが、残された時間懸命に活きなければ、すでに亡くなられている方に申し訳ないでしょう。年齢のことなど忘れて大いに愉快に楽しみましょう。
僕はザ・タイガース時代を含め東京近辺あちこち転居しました。慶應高校時代はこの埼玉に住んだことがあります。それは東武伊勢崎線せんげん台というところで、学校のある横浜の東横線日吉駅まで日比谷線一本でつながっているのです。しかし、途中の駅を数えると確か四十数駅もあり、さすがに通いきれず引っ越しました。ただ、綾瀬川、荒川、隅田川、神田川、多摩川、矢上川を越えて通った道は懐かし過ぎます。
今日は文字の小道に迷い込んでしまいましたが、この辺で引返します。
最後に一言、今日のコンサート、ザ・テンプターズのお膝元、「大宮人」(おおみやびと)の乗りは素晴らしい。「京都人」も感激!
最後にもう一言、10月30日大宮会場関係の写真は撮ったのですが、どういうわけか一枚も写っていませんでした。大宮の皆様すみません。よければこの次の機会に宜しく。
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