またまた、随分ご無沙汰いたしました。
2015年9月29日から始まり12月3日に千秋楽を迎えた今回のカキツバタ・ライブツアーですが、今日はもう12月も半ば過ぎ、あれよと言う間にもう新年も間近、改めて一年の経つことの早さを実感しています。
ツアーの全日程を終えた後、翌日から完全休養に近くと言っても、前日までの反省点ばかりが脳裏をグルグル巡って後悔ばかり、幼少のころ外国航路の船乗りになりたいと思ったように頭の中は今も航海中。
これではいけないと思いつつもその考えに苛まれて、結局は次回に期すしかないと頭を切り替え、次のツアーの演目を考え、先ず最初の一曲から。
自分の頭の上を沢山の蠅が飛んでいて、それを追い払うだけで精一杯、もう少し他所にも目配りできる余裕があったらなあと思うことしきりです。
また、長らく僕の消息を皆様にお伝えしていないので、ご心配をお掛けするようなことになりましたが、現在はもっぱら日本に居る関係で、中国北京の大気汚染に巻き込まれず、安穏に暮らしています。どうぞご安心ください。
今回ライブを終えるにあたって、折々につづった俳句・短歌・戯れ歌・早口言葉等々をまとめて以下にご紹介いたします。
「日は立ぬ 国立からは 今日はもう 初日迎えた その日遠い日」
「信濃川 時は流れて 夢つのり 思い溢れて 調べ流れる」
「ハチ公よ 何時もいるなら 語ってよ 南平台の 大和田さくら」
「宇都宮 ある日出来事 坂崎氏 思いもよらぬ 再会嬉し」
「生米生麦生卵」↓↓
「生声生音生バンド」
「隣の客はよく柿喰う客だ」↓↓
「瞳の客はよく乗る客だ」・「隣のガキは五月蠅いガキだ」
「坊主が屏風に上手に坊主の画を描いた」↓↓
「坊主が屏風に上手にジョーズの画を描いた」
「一昨日はアルフィー の出来事でした」
「火の国の 風 の間 に間に 杜 の声 ネオンの街に 灯の灯る頃」
(風間杜夫氏舞台見舞いに因んで)
(博多を経て指宿泊》
「指宿の 指定の宿は 海望む 白酔漢と 我は言うなり」
指宿 白水館にて
「好き好き好き、指宿のすべて、好き好き指宿、指宿大好き」
「小平市 鄧小平や テレサ(鄧麗君)にも 伝えて欲しい 今夜のライブ」
「八王子 南大沢 町田の隣 秋の夕べに 楽の音響く」
「甲州路 八方集う 王子達 今夕楽し 楽の祭典」
「八王子 南大沢 秋の夕 文化会館 学園の都市(街)」
《独虎再来》
「徳無しが 徳を行う 行徳で 納得いくか 一徳見てろ」
「行徳は 市川八幡 浦安と 並んで好きな 千葉の街々」
「行徳は 家千軒に 寺百寺 歌を唄えば 木魚を叩け」
「行徳は 家千軒に 寺百寺 念仏唱え、木魚叩こう」
〔二十二世紀バンドデビュー曲は市川でレコーディングした。その南、行徳地区には寺院が多く、寺町通りという名のついた通りがあるほどである。古くは「行徳千軒寺百軒」ともいわれたそうだ。〕
「ザ・埼玉 小宮中宮 大宮の バンドう太郎 町々集う」
「さいたま市 坂東集い 風起こり 利根の流れに 秋の音を聴く」
〔一台、十台、百台、千台、万台飛んで『億の細道』〕
松尾芭蕉は松島で:
「松島や ああ松島や 松島や」と
また、平泉で: 「夏草や 兵どもが 夢の跡」と。
瞳みのるは松島を訪れた後: かつて宮城野に夏草香り、青葉茂るも、今は広瀬の川に枯葉流れるさまを見て。
「青葉城 広瀬の川に 紅葉浮く」と。
また、
「平泉 青葉夏草 時うつり 杜の都に 紅葉散り敷く」と。
更に、
「未知の道 行ってみたいな 陸奥の道 奥の細道 未知のみちのく」、
「陸奥の国 杜の都は 青葉城 広瀬の川に 落葉流れる」と。
「時計台 大通りには テレビ塔 ポプラの並木 何時か来た道」
《大通りに行こうよ!》
「この道」詞:北原白秋 曲:山田耕筰(日本の歌百選)
「この道」は札幌市中央区北一条通が定説
「白鳥が 翼休める 湖は 木立森森 大気清清」
〔唐代長安の李白の詩「静夜思」をモチーフにして、平安時代『源氏物語』では須磨に流された光源氏を通し、現在東京に住む瞳が故郷を偲んで:
長安の李白の詩を基に、
疑是地上霜 疑うらくは是(こ)れ地上の霜かと
挙頭望山月 頭(こうべ)を挙げて山月(さんげつ)を望み
低頭思故郷 頭を低(た)れて故郷を思う
「首挙げ 明月望む 六甲に 首を垂れて 故郷想う」
「六甲に 首を挙げて 月望み 首を垂れて 垂水(足る身を)を思う」
「勝負事 勝つ身負ける身 人は皆 尾張名古屋は フライ・味噌勝つ」
(カキツバタは愛知県の県花)
〔先日、ザ・ワイルドワンズの鳥塚さんが来るというので、彼らのグループに因んだ歌。〕
「あの渚 長いまつ毛の 可愛い娘 僕を見つめた 大きな瞳」
「白い船 あの日の乙女 今何処 秋の渚に 一人たたずむ」
「湘南に 髪を靡かせ 水面見る 乙女の姿 遠い夏の日」
「吉田山 哲学の道 銀閣寺 忙中閑あり 洛中健児」
「古都黄葉、天気光耀、小春日和、錦秋効用」
「舞台紅陽、気分高揚、金閣銀閣、西山紅葉」
「仲居さん 富田林か 岸和田か はたまた河内 音頭の八尾か」
(ザ・タイガースの元マネジャー大阪府富田林出身の故中井国二氏に因んで)
「御堂筋 会うも会わぬも 大阪の ネオンが灯る 宗右衛門町」 「浪の花 河内の音頭の 盆踊り 悪名で派す 八尾の住職」
「兄上戸 弟下戸の 上目黒 酒を知ろうと しない楽しみ」
(兄弟でも、兄はザ・タイガース時代ニックネームサリー、今は芸名岸部一徳で 酒は上戸、弟岸部シローは下戸)
「兄は去り 弟は下戸 上目黒 飲酒素人 話術玄人」
(上目黒「目黒ハイツ」はかつてザ・タイガースのメンバーが住んだところで、南平台に隣接している。)
「蓮の花 盛夏の衣 今いずこ 小春日和に 遊ぶ水鳥」
「カニ喰えば 金がなくなる がま口の 今宵も食べる カニもどきかな」
「カキ喰えば 舌が鳴る鳴る その旨さ 煮ても焼いても フライ生良し」
「夏期注意 食あたりには 牡蠣注意 取り扱いは 火器花卉注意」
「冬が来ぬ 軒に干したる 吊るし柿 隣のガキと 柿食う稽古」
唐代詩人張籍の「洛陽城裏見秋風,欲作家書意萬重」をもじって、
異字くって、
「東京城裏秋風を見る、書簡を作らんとして意万重」
この九月、19日は北海道八雲町での「花の首飾り」まちづくりコンサート、
23日は大阪西成区の「バースデー記念講演会」、29日からは 全国縦断「ライブツアー2015」の始まりということで、その準備やらリハーサルなどで、盆と正月が一遍に来たような忙しさでした。と言っても、近年は国民の休日も増えて、盆正月もそんなには忙しくもなく、その影自体が薄くなってきたようですが。
それはともかく、なかでもレコーディングには時間がかかりました。7月から始めたのですが、ようやくこの9月22日僕の誕生日にCDをリリースできることになりました。今回は「瞳みのる&二十二世紀バンド」として初めて出す曲のために喜びひとしお、鮭の一塩、いい味、もとい、いい意味で緊張しました。メンバー全員の強力な協力のお蔭で素晴らしい出来栄えになっています。
曲名は「三日月」・「時よ行かないで」で、いずれも僕の作詞・作曲、メンバーのジェフの編曲で、ドラムはピーとイチローのツインドラム、バックの演奏やコーラスにアリス・ネロ・ハナ・ジェフなどバンド全員が参加しています。
また、ライブツアーのリハーサルは8月から始め、メンバー全員は今も猛練習中です。公演では時にベースのジェフが抜けることもありますが、彼の極めて親しいバンド仲間で実力伯仲のケンヤがサポートしてくれることになっています。
そこで楽隊長ジェフの下、
「ハナから頑張り、ネロと言われても夜も寝ないで昼寝して、真実イチロー、
アリスぎる才能を発揮した「ジェジェジェ」のジェフがまケンヤる気でピーと号令というわけです。」
『古今和歌集』で在原業平は、
「唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ」
と詠いましたが、
当方は、
「カラオケで 気持ちもほぐれ つぎつぎと はた迷惑な 誰かの連歌」
とならぬよう、カラオケならぬ風呂桶によくつかって、のぼせぬ程度に十分歌の練習でもしましょう。
「じぇじぇじぇ」!皆さん楽しみにしてください。
2015年7月26日(日)函館発羽田行ANA19時15分の機上にてこの紀行文を書き始めた。
2015年7月22日(水)羽田発札幌行ANA10時00分に乗って北海道に向かう。今回の旅行は、汽車の汽笛を聞いて無性に旅に出たくなったのでもなく、周到に準備して出て来たのでもない。ほんの数日の思い付きで旅立って来たのである。
先日9月からのライブツアーのための新曲、「三日月」と「時を行かないで」(詞・曲・ドラム演奏とも拙作)のレコーディングも終わり一段落し気休めも兼ねてでもあった。
ただ、その行き先として北海道をあえて選んだのは、やはり9月19日八雲町で開催される「花の首飾り」まちづくりコンサート、八雲町の観光大使、全道の観光大使及び11月12日札幌で開催されるライブを多少意識してのことでもある。
ルートが道南になったのは、僕が何度も行ったことのある一番馴染が深い場所だからでもある。というのも、ザ・タイガースを辞めて慶應義塾高校で33年間教員をしてきたが、修学旅行の付き添いとして3年のクラス担任は必ず、3学年教科担当教員は主として、同行してきたからである。その同行回数は、ほぼ勤務年数の三分の一に当たる10回程度にも及び、ほぼ3年に一度は当地に来たことになる。
厳寒の北海道は最北の地らしく、吹く風の中に如何にも北の果てに来た感じがするが、夏の北海道は冬に比べ短く、乾燥した陽光の中に足早に過ぎてゆく季節を懸命に捉えようとしているように感じられ、短い夏を十二分に堪能して本当に惜しむかのような気分に否が応でもさせてくれる。・・・・。後略
今回の旅行は7月22日から7月26日の4泊5日であったのですが、26日函館から東京へ戻る機上で書き始め、遅くとも多分2,3日で書き終えることができるだろうと思っていたのですが、いつもの癖で、書いているうちにどんどん長く重くなってきたので、一旦中断し別の仕事にとりかかり、遅筆なため未だに書き終えないまま、この次ゆっくり取り掛かろう、そして曲がりなりにも首尾一貫した紀行文をという欲が出て、現在に至ってしまいました。
いつも僕のブログを読んで頂いている皆様へ、長いご無沙汰と、酷暑・厳暑見舞いのご挨拶と共にとりあえずこのような文章を掲載することにしました。できれば、あとは近い日に紀行文をまとめて上梓できればと密かに目論んでいるところです。どうぞ悪しからず。
改めましてフアンの皆様へ
「残暑お見舞い申し上げます」
「雨に咲く花、紫陽花(あじさい)、山梔子(くちなし)
は
色や香りで人を惹きつけます」
僕もそうありたいと思います。このように語らなくとも。
数日前から七月、純な月も終わり無頼の月になります。
そういうわけですが、時間的な流れではその逆になるように思われます。
というのは、純(June)、無頼(July)やはり音的には
無頼の方に軍配を
個人的には挙げたくなるからです。
純は頭が単純な方では近いのですが、頼なき生き様は無頼に近いからです。
気持ちはこのようであるのはようがす(August)か?少ししつこいですね。
さて、暦は6月が終わって7月。6月はまるまる中国に居ました。旅行は北京の南、広西省の桂林・陽朔、北京の東、河北省の南戴河・北戴河に旅行しました。広西は月初め、河北は月の終りに行ったのでした。
先に、桂林・陽朔についてはサイトで若干触れましたが>>、南戴河・北戴河については行って帰って来たばかりで、何も触れていません。南戴河・北戴河ともに北京から東へ約300キロの地点にあり、車で3~4時間で行けます。何れも北京のお膝元の近くにあり、天津に近い海浜にあり、避暑地として人気のあるスポットです。特に北戴河は毛沢東がよく訪れたリゾート地で街自体がよく整備されています。この地から約20キロ東の海岸に「山海関」(老龍頭)という海に突き出た岬があり、あの有名な万里の長城はこの地点から始まっています。
今回一番見たかった場所でもあり、まさに長城としては強固に築かれ、北京にある「八達嶺」の東の最も外れに当たり、「天下第一関」の名称そのものでした。
食事は、海浜ですから海鮮が主ですが、素材はともかく味の面では、遼寧省の大連、広東省の香港・広州には及ばないように思いました。
特に勿体ぶるわけではありませんが、先の桂林・陽朔などと共に南・北戴河の旅行記として公刊できればと考えております。
帰宅した日から雨、北京もそうでしたが、東京辺りは梅雨入りでさほど天候は変わらないように感じます。
今、僕は、北京にいます。関東地方がとっくに梅雨入りしていることを、華北に属する北京あたりでは、つゆ知らず。
当地はすでに夏ですが、気温は高くても、湿度が低く、空気が乾燥していて、カラットしています。何カラットかはわかりませんが。朝の散歩は各棟5~6階建て公団住宅群の敷地の木陰を縫うように歩いています。このような市内の公団住宅風の団地は、意外に東京都心のマンション群棟よりも樹木が多く、緑陰に囲まれ環境に恵まれています。散歩コースには最適です。ただそのような比較的静かな住環境の中、僕はいつも高吟放歌するので、近隣住民から時に変な目で見られます。
本来は晴天なのにどんよりとした天、いかにもPM2・5のせいであると言えますが、いつもがいつもそのような天であるわけではありません。ただ、年中生活していたらその防御態勢をしっかりしていなければやはり問題はあるでしょう。
ただ朗報としては、近頃から大都市、北京、上海、天津などでは公共の施設や飲食店、バー、スナックなどでも喫煙ができなくなり、子供や非喫煙者にとってはそのような場所で副流煙に悩まされなくなったことです。願わくは少なくとも日本の大都市でもそのようになってもらいたいものです。
今回は6月早々に当地に参りましたが、広東省の西、広西チワン族自治区にある桂林へ行って参りました。桂林は風光明媚な地と聞いていたのですが、誰もがよく行く有名な観光地なので、きっと俗っぽく商業化されたところだと思っていたので、特には行きたいと思っていませんでした。
この省の南はベトナムで、かつて阿倍仲麻呂が帰国船で難波し、その後唐王朝のこの地方の最高権力者として赴任したところでもあるので、その北に隣接する広西省には気候的・地理的には興味がありました。
行ってみるとその予想はいい意味で大いに外れ、素晴らしいところで俗っぽくも商業主義的でもない実に風光明媚なところでした。
日本でよく知られているような山水画、唐の詩人王維を祖とする南画の世界です。
今回の旅行に関して、簡単な旅行記を書きましたが、それを引用すると長くなりますので、また機会でもあれば「中国気まぐれの旅シリーズ」とでも題して本にでもなればと密かに考えています。
今度の小旅行は、桂林から66㎞上流の陽朔というところへ船旅をしました。この観光船は大きな船で200人は優に乗れるほどで、かつて30数年前慶應高校の生徒諸君を個人的に20人ほど組織して重慶から南京まで三峡の船下りをしたことが懐かしく思い出されました。
ところで、6月1日僕たちとは逆コースになる南京から重慶へ向かう船が竜巻によって転覆したという不幸な水難事故を中国のニュースで後から知りました。船旅は飛行機より安全だと思っていましたが、昨年4月韓国船転覆事故もあり恐ろしくもあることを再認識されます。
ただ、今回はこの陽朔と景勝の地で二人乗りの八本程度の竹で編んだ小さな筏で、約1時間半の川下りもしました。長江の水難事故があった後なので流石に救命胴衣は、最初こそ気になって着ていましたが、後は結構暑かったので脱いでいました。僕の話はしょっちゅう脱線しますが、この地、この時期、船は転覆しても気候は暑く、泳ぎもできるので小舟、いや筏ですが大船、いや大筏に乗った積りでのんびり構えていました。
「忙中閑あり」=「閑中忙あり」
9月からのライブツアーの一般発売も今月20日から始まり、6月末までには帰国し、引き続きそのライブに備えます。
今年も二十二世紀バンドと全国ライブツアーが出来ることになり、喜びをひしひしと感じると共に大変楽しみにしています。
今回は、キーボード&ボーカルにハナさんを迎えます。都合によりJEFFが出られないこともありますが、ジェフ自身が絶対の信頼を置いているKenyaさんがフォローしてくれることになっていて、ベース&ボーカルとして同じパートを担当してくれます。
ともかくも昨年よりも一層強力な布陣でレベルアップ、グレードアップし趣向を凝らして臨みます。
さらに、新曲「三日月」・「時よ往(ゆ)かないで」〔(仮題)作詞・作曲:ひとみみのる〕の2曲の新譜をツアーに併せてリリースする予定です。
どうぞご期待ください。
皆様方には、これまでと変わらない、いやそれ以上のご支援・ご支持をよろしくお願い致します。
メンバー紹介ページ >>
(日文)瞳みのる&二十二世紀バンド (英文)HITOMI Minoru & The 22nd Century Band
(中文繁体字)瞳豐 & 二十二世紀樂隊 (簡体字)瞳丰 & 二十二世纪乐
・皆様方如何お過ごしですか。 /2015.12.19 ・皆様には、随分ご無沙汰しました。 /2015.9.14 ・「札幌・登別・八雲・函館」俄かに思い立って /2015.8.8 ・「6月が終わって7月になりました」 /2015.7.3 ・「北京の6月」 /2015.6.15 ・「瞳みのる&二十二世紀バンド メンバー紹介」 /2015.6.8 ・最近のメールから、徒然に(テレサ・テン⦅鄧麗君⦆没後20年に因んで) /2015.5.16 ・マルベル堂ブロマイド撮影 /2015.5.9 ・「たまたまテレビを見ていて」 /2015.5.1 ・加瀬邦彦氏追悼 /2015.4.22 ・富山紀行 /2015.4.21 ・「北京転居のお知らせ」 /2015.4.10 ・北京便り /2015.3.29 ・「櫻源郷」(櫻花源記) /2015.3.13 ・「フクロウ」 /2015.2.24 ・「公演終了ご挨拶」 /2015.2.9 ・新年は新念」 /2015.1.1 ・北京便り:「貴方へのたよりだけが僕のたよりです」 /2014.11.27 ・随分御無沙汰致しました。久しぶりに筆を /2014.11.24 ・「ツアー・ファイナルステージを終えて」 /2014.11.3 ・9月の終わりに当たって /2014.9.29 ・「残暑お見舞い申し上げます」 /2014.8.10 ・しょっちゅう、書中、暑中見舞い /2014.7.27 ・七夕 棚ぼた /2014.7.7 ・バンド名決定! /2014.5.28 ・2014年5月11日《日》 /2014.5.13 ・「泰平の 眠りを覚ます 上喜撰 たった四杯で 夜も眠れず」 /2014.4.28 ・「百鳥の湖」 /2014.4.20 ・2014年4月1日(火)「万愚節」 /2014.4.1